グインサーガ復興論

栗本薫さんの遺志に基づいてグインサーガの完結を願うひと

没後10年を記念されてもファンは困る

2019年。あれから10年 

 2019年は栗本薫中島梓さんの没後10年だったせいか、以下の2冊が刊行され、一部のマスコミ等でも話題になった。

 前者は多くの書評で好意的に取り上げられた結果、2020年、第73回日本推理作家協会賞の評論・研究部門で候補作にも選ばれた(受賞は惜しくも逃す)。

 後者は曲がりなりにも実際にご本人の長年の公私にわたる伴侶によるエッセイなので、いずれ読むことは決めていた。

 出版社としてはグインサーガの続篇を継続している以上、何かにかこつけてキャンペーンめいた施策をうつことは理解できるし、ご遺族としては何らかの区切りをつけたい気持ちもわかる。

 とはいえ、没後10年は特に祝うものでもなんでもないので、私はなかなか手を出せずにいた。

近しいほど故人を悼むには時間がかかる

 亡くなった人物を悼むには、個人差があると思う。関係性が近ければ近いほど、ショックは大きい。私は26歳のときに父を57歳で亡くしたが、そのショックが癒えるまでにはさまざまな努力を尽くしても10年近く掛かった。

 1987年にグインサーガとめぐり逢って20年以上が経過していた。また、いずれ詳細を書くが、私は中島梓さん、そして今岡清さんとも知己を得ていた。個人的な関係を育むことができたのは長年のファンとして内心、非常に名誉なことだったが、逝去された後はかえって心の整理を難しくしたかもしれない。

 以後、ずっとモヤモヤを抱えながらとうとう2020年になり、新型コロナ騒動で自粛生活を強いられ、ようやく真剣に購入を検討したが、知りたくないことを知るのではないか、という強い怖れがあった。美しい想い出だけを大事にしておくべきかと正直迷った。

未だにつかない心の整理、避けていた再読

 よくよく考えてみると、私は2013年6月、個人的に横浜へ御墓参りに行ったのだが、そんな自分がいまだに心の整理ができておらず、作品の多く、特にグインサーガ全巻の再読をずっと避けていた事実に思い至ったのは、我ながら実に意外だった。

 私は、思っていた以上に喪失感で深く、深く、心を痛めていたのだ。だが、それは私自身の心が傷ついたからではない。むしろ、自分の一部が引き裂かれて遠くへ逝ってしまったようなそんな痛みだ。

 この気づきがあり、私はこれら二作品と向き合うことを決心した。