グインサーガ復興論

栗本薫さんの遺志に基づいてグインサーガの完結を願うひと

里中高志「栗本薫と中島梓 世界最長の物語を書いた人」

 

栗本薫と中島梓 世界最長の物語を書いた人
 

精力的な取材に裏付けられた完成度の高い評伝

 読み終えてまず、安堵感が先に立った。アンチ含めて誰も傷つけることなく、丹念に事実を追いかけ、多くの関係者へのインタビューを組み合わせて本人像を浮かび上がらせるのは、本当に時間と手間のかかる作業だったはずだ。次いで、その労を労いたい気持ちが湧き起こった。

 実際、里中氏は早川書房を通して2016年秋に取材を開始し、出版されるまでに2年以上を要している。丁寧な取材と極めて客観的かつ誠実な記述につとめた筆者には率直に尊敬の念しかない。

 また、大学こそ違えど、私も一応は里中氏と同じく東洋史を専攻した者の端くれとして、歴史学者としての意地やプライドを節々に感じた。里中氏はおそらく、卒業論文でさえ非常に読み応えのあるものを執筆されたのではないかと思えるほど、非常に完成度の高い一冊だった。

 そして、里中氏は早稲田大学第一文学部卒ということで、中島梓さんの直接の後輩にあたる。ご生前、ご本人は身近に感じられる奇遇なご縁を非常に大切にしておられたので、僭越ではあるが、このようなシンクロニシティと著作の完成度の高さに天国で深く喜ばれているのではないか、とすら思う。

 本作の最大の功績としては、中島梓さんの生前、ご両親それぞれの祖父母からご両親の人生をも丁寧に辿り、生まれ育った家族関係、家庭環境、晩年までの人間関係やそのパターンを《客観的に》明らかにしたことだろう。

 中島梓という人物はもともと、自らのエッセイや評論、あるいは作品やあとがきなどで積極的に自ら、そしてときには家族関係をも自己開示していたが、それらはあくまでも主観的なもの、悪くいえば思い込みに基づくものだった。

 特に、実母との関係や確執は比較的コアなファンの間では有名な話だったと思うが、基本的には一方的に述べられているもので、御母様の立場からすれば決してフェアとは言い難い。

 今回の評伝ではそれらを里中氏がインタビューや資料で丁寧にひもとき、丹念に事実や見解を精査・整理されていて非常に説得力があるため、新たな見解や理解を得られる点が非常に多い。

 そういう意味では、栗本薫あるいは中島梓作品を再読するうえでこの書籍を一読する価値ありと断言できる。

浮かび上がる作品群への影響 

 例えば、「グインサーガ」に登場するパロの聖王家と日本の天皇家との類似性である。日本人独自の精神が反映されていることは当たり前として、母方の祖父が戦前の宮内省に勤めていてのちに香港のホテルに勤務した経緯が非常に興味深い。当時の日本人としてはかなり珍しく、戦前の宮家や華族といった上流階級の存在を比較的、身近に感じていたのではと考えられる。

 パロに限れば、雅やかな宮廷、舞踏会、レイピアでの決闘など、もろもろフランスのような王朝を装いつつ、同族婚を繰り返す「青い血」などのモチーフはむしろ天皇家のそれに近い。パロ以外のゴーラ三公国やケイロニアは実際のヨーロッパ各王朝や日本の武家を模した政略結婚が主体の王家なのに、パロだけがなぜ、閉鎖的な王室、あるいは魔道や古代機械など他国よりずっと謎めいた特別な国として描かれているのか。

 ほかにも愛娘を全肯定する実業家の父、実質的に乳母のような存在であったお手伝いさん(なかでも戦争孤児の方)、幼くして寝たきりになってしまった弟御、昭和28年と戦後間もない生まれにも関わらず裕福な暮らし、長唄・小唄・清元・津軽三味線を名取まで究めたり、御母様の影響で幼い頃から歌舞伎などの伝統芸能に親しんできたこと、マンガをも含めた膨大な読書量など、作品の随所にさまざまな影響を及ぼしたことが窺える。著作やあとがき、エッセイなどを丹念に読んできたファンなら知っていることも、さらに深く掘り下げられている。

 また、御母様が二・二六事件のことをひどく身近に述べられていたり、ご本人も早稲田在学中に学生紛争に直面するなど、我々よりもはるかに「戦争」や「暴力」を身近なものとして感じていたことも重要に思われる。本書では特に触れられていないが、三島由紀夫の事件も何らかの影響を否定できない。

 本書ならびに栗本薫中島梓さんの生まれ育った時代背景を踏まえて作品を再読することで新たな発見が得られたり、あるいは誤解を解消できたり、もっといえば「グインサーガ」や「新・魔界水滸伝」といった未完の物語に何らかの手がかり、光明を見いだせるのではないだろうか。

 そんなふうに私は思い、ほとんど封印していたグインサーガの再読を試みようと思うようになった。